第1回若頭MTG 大楠 友也さん【レポート】


スピーカー 大楠 友也さん
10月26日(日) このイベントは無事終了いたしました。

今回伝えたい“行動する”ということ。

同世代の若者が刺激し合えるコミュニティを、以前働いていた関西や、今働いている会社の海外メンバーなど、いろんな各地で同じような活動をしてきた。
たまたま今回東京で働いているので、同世代の方々と同じようなコミュニティを作っていきたいと思っていた所、本気ファクトリー代表の畠山さんとお話しする機会があり、まずはやってみない?というお言葉も頂き 今回開催させていただきました。

今回一番シェアさせていただきたいと思っているのは“行動する”大切さです。

ちなみにこの中で英語話せる人いらっしゃいますか?
⇒いない
英語話せない人?
⇒ほとんど全員が挙手
その英語話せない人の中で英語は重要だなと思う人?
⇒ほとんど手がそのまま挙がっている。
じゃあ今英語を話せるようになるために勉強している人?
⇒ほとんど手が上がらない

実際はこんなもんなんですよね。これが現実だなと僕は思っていて、実は僕も英語できなかったんです。
でも今年の4月からファーストリテイリングで働くようになって、そもそも上司や同僚に外国人がいて、当たり前なのですけど、あまり日本語通じないんですよね。
で、実を言うと僕も3月まで英語話せなかったんですよ。
本当に全然話せなくて。
なんですけど、今、彼らと英語でコミュニケーションを取って、仕事出来るということは、しっかり計画して実行して勉強したからなんですね。
こういった“実行する大切さ”ところを今日は少しでもシェアしていきたいなと思ってます。

サッカークラブで10番。イケイケの小学生時代

簡単に生い立ちを話させていただきますと、神奈川県の横浜生まれで29歳、大学卒業後にリクルートに入社して丸6年、今、7年目ですがファーストリテイリングに出向兼務していて人事をやっています。

そんな僕ですが、幼稚園や小学校の時はけっこうイケイケでクラスの人気者だったんですよ。
学校でサッカーをやっていて、背番号が10番だったんですよ。
当時Jリーグが出来た時だったのでサッカーが盛り上がっていて、これかっこいいなと思いまして、有名なチームの試験を受けたんですよ。
そしたら受かっちゃって、おお、俺スゲーなと。
という風に絶好調の小学校時代だったんですけど。

小学校でのいじめ、サッカーの挫折。コンプレックスの塊だった中学生時代。

そんな絶好調だったサッカーも結論から言うと辞めちゃったんですね。
理由は小学校の時からずっとそれしかしてなかったので、小学校の友達とうまくコミュニケーションとる機会がなくて。何かの歯車が壊れた時に、どんどん無視されるわ、気付いたら、あれ、いじめられてる?ようになっちゃって。。
“あいつ何なの?”“学校来ないじゃん?”みたいな感じでしたね。

クラスでも上手くいかず、それがサッカーの方にも影響出てきて、、当時外国人の子と交流戦をやった時に、全然体格がついていなくて。
僕は成長期が遅かった事もあり、挫折を味わいました。
得意だと思っていたサッカーもこれは駄目だなと思って、軽い不登校にまでなり、サッカークラブも小学校卒業時に辞めてしまったというのがいきさつなんですね。

中学校ではサッカー仲間を避けて、違うスポーツをやろうと思いました。
体格が負けているということがコンプレックスだったので、バレー・バスケやろうと思って。でかくなろうという安易な発想で。笑
最終的にはあまり考えずに友達のいたテニス部に入り、部活ばかりしてましたけど、何かに燃えるわけでもなく、過去のコンプレックスをひきずった中学校生活でしたね。

だらだらと過ごした高校生活。そして転機となった一冊の雑誌

中学までは地元の学校だったんですけど、高校からはコンプレックスな自分を変えたくて、割と田舎な埼玉の奥地を出て、高校は家から遠いところに通ったんですね、あえて。
そしたら、まあ見事に遊びにはまってしまって、ずっとバンドやっていたりとか、マクドでだべっていたりという学生生活でした。勉強も全然できなくて赤点取ったり、謹慎もらって親に迷惑かけたり、追試したり。
進学できないことがほぼ決まって、本当にどうしようかなと思っているときに、たまたま家に帰ってプレジデントという雑誌がおいてあったんですね。
何の気なしにパラパラと見ていたらうちの親父が載っていました。
おやじだ!と思って。笑

実はうちのおやじはずっと一緒に暮らしていなくて、海外とか転勤族だったんですね。
今でも敬語なくらい緊張する相手なんですけど。
おやじが雑誌に載っていてしゃべっているわけですよ。
わー、すげーかっけーなと思って見ていて、一番最後におやじが、

“なんでこの仕事頑張れるんですか?”という記者の問いに対して、

“将来自分の子供にパパの仕事はこういう仕事だったんだよと胸を張って言いたいから今の仕事を頑張っている”

ということが載っていて、
その時17歳にして結構感動してしまって、すごい人だったんだなと。
自分の中でこのままじゃ駄目だなと、申し訳ないなと思って。
こういった親父がいてくれているのに俺は何をやっているんだろうと。

それで今でも覚えているんですけど、高3の9月24日から大学進学を決意しまして、その日に親から30万借りて代ゼミに行きました。代ゼミに行って
“すいません代ゼミに入りたいです!”という話をしてそれで受験勉強を始めた。
そんな、ある意味、単純な思考の高校生でした。

二人の兄の存在。落ちこぼれ高校生からの大学合格。

僕の兄は二人とも私立大学に行っていたんですが、この兄が僕のコンプレックスの原因なんですね。長男は部活で県大会で優勝とかしてて、次男は高校で首席で彼女もいて、すごいムカついてましたね。
じゃあ兄貴と違うお金かからない国立だ!と思って国立を受けようと思ったんですけど、結局第一志望の横浜国立大学に落ちたんですね。
落ちた理由がひどいんですけど、僕の年ってセンター試験が5教科7科目に初めてなった年で、それの受験の1ヶ月前までそれを知らなくて英国数だけやっていればいいと思って笑)実は代ゼミに飛び込んでいった日から携帯も解約して友達とも遊ばなくなって、
周囲との一切の連絡を絶ったんですよ。そしたら情報が入ってこなくなって。そしたら知らなかったみたいな。笑

そして英国数で行けるところで親に負担がかからないようなところで、たまたま家から近くて偏差値もまあまあの大学に行こうと思いました。受験当日に初めて行って、大学が駅前だったので決めました。。

遊び、起業、就活支援団体の設立といろいろとやった大学生時代。

大学生活何をやっていたか、、ですか。。

ちなみに、皆さん、学習院大学ってどんなイメージがありますか?
⇒天皇家が通っている、貴族、お嬢様

本当にそんな大学なんですよね。なので僕は浮いてしまって友達ができなかったんですよね。スタートダッシュで失敗しまして(笑)だって入学式で隣にいた人が、“お父様のお仕事何ですか?”という風に聞いていて、うぉまじかよと思って笑。

そのあとは大学の中に居場所を作るというよりも、外に居場所を作ろうと思って行動しました。大学って自由なので。

今でも印象に残っている3人との出会い。
一人は就職支援とか子高校生向けのキャリア支援の社長さんのKさん。静岡の大学生のO君。学生団体を手伝ってくれたI君。

Kさんは、自分で事業を起こしてビジネスをやっていた人なので、事業を起こしたいと思っていた(かっこつけたかっただけ)自分には非常に刺激を受けました。その出会いをきっかけにして、大学2年生の時にファイナンシャルプランナーとして事業を始めました。バイトをしなくても生活がおくれるぐらいになった時に、大学三年生になって就活が始まりました。

そこでO君に出会うんですけど、O君は静岡の大学生だったんですね。
そんな彼が東京に出てきているときに「地方の大学生がいかにお前ら東京の学生に比べて苦しいか知っているか」と飲みの席でケンカをふっかけられたんですね、いきなり。笑

なんだこいつは!と思ったんですけど、話を聞いてみると、地方の学生って東京と違って情報がなくて、一回東京に来て就活しようとなると交通費宿泊費等で10万円ぐらいかかってしまうんですね。
その費用も自分で捻出しなくてはならず、それだけでも東京の学生と比べ、変えがたい壁がありますと。

お前らそれを分かっているのかという話をことごとくされて、最後は彼の想いにほれ込んでしまって、調度、何かしら次の事業を増やしたいと思っていた時期だったので、地方の学生だけに焦点を絞った学生団体をその時にO君と作りました。
九州とか静岡とか、北海道に行って、大学のキャリアセンターに営業して、東京の就活イベントを作るので大学生を呼びたいと思っておりますと。
またその交通費等はすべてうちが負担しますという感じで。セミナーを実施する時に募集した告知ポスターを見て声をかけてくれたのが、I君。

リクルート1年目。友人の死をきっかけに行動が変わる。

リクルートっていう会社は優秀な方が集まっている会社だと思っていて、入社ハードルも高くて僕の大学だと内定者が毎年1名いるかいないかという感じ。ほとんどが東大京大早稲田慶応、マーチもちょっといたかな、というぐらいで。内定してものすごいコンプレックスだったんですよ。内定者の時からこれはやばいなと思っていて、頑張んなきゃなと思っていました。1年目もちろん営業です、毎日名刺を100件とってくるまでは帰れない、と。そういう営業を最初はやりました。

で、これが俺の仕事なのか、社会人ってこんなにきついのかと思って悩んで。悩んでるのに、営業先に行った工場のおじさんに「邪魔だ!」と言われてスパナが飛んできたりして。
当時リーマンショック前後で景気が怪しくなっていたので仕事案件もなくて。

辞めよっかなと思っていたんですけど、ある転機がありまして。
先ほどお話したI君が、すいません、ちょっと重たい話になるんですけど、I君が亡くなるんですね。
彼はすごい学生団体を手伝ってくれて、仲良しだったんですけど、彼は志望先の仕事に就けなくて。その想いが強すぎて、いったん入社した会社でもやっぱり夢をあきらめきれずに周囲の反対とかとも戦い続けていたら、疲れてしまったらしく、精神的に病んでしまって。
結局自分の命を絶ってしまいました。

僕その時につらくて、友達が死んだので、I君のために何ができるかなとおもって、その時はI君のために頑張ろうと思って社会人一年目を死ぬ気で働きました。
元々、同期と比べて優秀でもないので、努力しかないなと。

そんな経験をする中、当時リーマンショックで同僚や先輩がどんどんいなくなる中で、僕は辞めなかったんですが、何をしていいかフラフラしてる時に、ある日突然、「関西にいけ」と言われて社会人2年目の夏から関西に転勤になりました。

劣悪な環境の大阪時代。再びがむしゃらに働くことでマネージャーへ昇格

関西に行くことになった6/18に上司に呼ばれて、お前来週から関西いけと言われて笑)
え?来週?って。
本当に土日をはさんだ月曜から関西だったんですよ。荷物を最低限まとめて、とにかく行けということになって。住むところはマンスリーマンション借りたからということで、本当に鍵を渡されて。新幹線で関西に行きまして、関西支社で仕事内容を聞いて、マンスリーマンションに行ったら、ここがまぁ最悪の環境だったんですね。
大阪のどことは言いませんが、東京でいうところの鶯谷みたいな笑

まずエアコンない、布団黄色い、バストイレ一緒、隣の中国人親子が毎晩子供にガンギレしているっていう、なかなか劣悪な環境に住んでいました。

そんな環境では休日に家にいると、やばいな、鬱になるなと思ったので、大阪城の周りをうろうろしていることぐらいしかなくて、当時の楽しみは本当に月曜日のジャンプと水曜日のマガジンを読むことしかなかったですね。

でまたその時にやめようかなと思いました。
“もっと輝ける場所がほかにあるのではないかな?”とかいろいろ考えたんですけど、正直、ここでやめたら社会的にどうなんだろう、自分の価値って何なんだろうなとか、そもそも自分の強みって何なんだろうなって。あ、何もないかもって。

じゃあ、今はとにかく若いんだし、自分の強みは健康だし体力だから、めっちゃ働こうと思ったんですね。振り切ったんですね。とにかく働こうと。
その結果がだんだん伴うようになってきて、リクルートからも評価を頂けるようになりました。その結果もあり?6年目からマネジャーになり、東京に戻ってきました。

でも、マネジャーになっても苦しい事ばかりでしたね。自分がいかに思考が浅く、これまでの環境に甘んじてきたか痛感しています。毎日、しんどいですね。(笑)

振り返った時に大切にしていた2つの自分ルール

僕は弱いし才能もない人間なので、自分ルールというものをもって縛ってます。
2つだけ持っていて、
1つ目は「迷ったらしんどいほうを選ぶ」
2つ目が「人間は慣れるから我慢する」
ということです。

いろんな選択があったときにとにかくしんどい方を選ぶようにしているんですね。
結果的にそれが振り返ってみると良かったと思って。またしんどい方を選ぶっていうことは環境を変えるっていうことなんですね。
そして、2つ目の「人間は慣れるから我慢する」というところに繋がってきます。
でも実体験として人間慣れてくるなっていう思いを持っています。
関西に行った経験もそうですし、今は外資系?の様な会社に入った経験もそうです。
日本以外の環境で働くっていうこともそうなんですけど。結局慣れるんですよね。人間って。ああ怖い(笑)

自ら挙手して勝ち取った社長へのプレゼン。

リクルートで雇用されながらファーストリテイリングっていう会社で人事をやっています。
で、ファーストリテーリングに来て、半年間ぐらいは英語の問題もありますし、てんやわんやでした、面接とかも英語で行いますし(通訳はつけれる)。ただ、このままじゃだめだな、慣れるだけで終わってしまうな、いずれリクルートに戻されるし、なのでこの前、勇気をもってお願いして、社長にプレゼンさせて頂く機会を頂きました。

はい、結論、ぼっこぼこに怒られて終わりました笑
“君ね!!”と言われて15分のプレゼン時間が5分で打ち切りになるという。笑
そのあと社長から10分ぐらい社長からずっとお説教してもらったんですけど、その10分の間で、社長が何を考えているのか、何を考えて仕事しているのかということをシャワーを浴びまくって。終わった後に部屋にこもって整理していたら段々分かってきて。
普段、うちの社長も本とか出しているので、読んでいたんですけど、そこでは結局何が言いたいのかわからなかったんですけど、その10分間で怒られまくることによって、あの人が何を考えているのかということが少し分かりました。

こんな経験も、社長にプレゼンさせてくださいと、手を挙げて行動しないことには得ることが出来ない体験だったなと思って。結局そこでめちゃくちゃ怒られましたけど、こうしてここで元気に生きているので、まあ何とかなるんだなと思って、身をもって体験したことです。

最後にもう一度伝えたい“行動する”ことの大切さ

すいません、こうして話はながくなりましたが、本日最もシェしたかった事としては、“行動する”ということ。
で行動しないことには何も得るものはなくて、それで行動したからと言って実はそんなにリスクがなくって、こんな先進国では。
是非、今日から何かしら、是非アクションするということに関して、少しでも感じてくれればいいなと思っていますし、僕はこのような場をここだけではなく、関西とか海外のメンバーともやってきて、僕も含む周りのみんなが一緒に成長しているのを肌で感じてきたんですね。是非そのような活動に少しでも共感していただける方は、一緒に何かやっていけたら面白いんじゃないかなと思っています。

第一回 イベント情報

このイベントは無事終了いたしました。

日  時: 10月26日(日)16:00〜18:00
場  所: コンサル&シェアスペース WaO (http://www.wao-otemachi.com/)
大手町駅(c2b出口)徒歩4分
参加費: 500円(場所代と飲み物代として頂戴します)
内  容: 16:00〜17:00 講師によるセミナー・質疑応答
17:00〜18:00 交流会

第一回イベント スピーカー大楠 友也

【経歴】
1985年6月7日生まれ29歳
2006年 学生時代にFinancial Plannerして事業を開始。
2007年 学生団体を立ち上げ、地方学生に特化した就職イベントを開催。
2008年 Recruit入社
関東、関西を中心に営業、web企画、営業戦略、採用業務に従事
2011年 Recruit Career転籍(ホールディングス化による転籍)
2013年  マネジャー昇進
2014年 Fast Retailingの人事に出向兼務
【ひとこと】
もうすぐで30歳ですが、自分なりに20代を頑張ってきました。
人事関連業務が長いので「キャリア」という点でも
何か皆様の気付きになる点があれば幸いです。